2017年05月15日

絵が本当にわた



 天分に富む者がいれば、どんな傾向の絵画を描いていようと、知りあいになることを名誉だと思うからね。ボストン最大の画家がリチャード・アプトン・ピックマンだったんだ。わたしは最初からそういっていたし、いまもそういうし、ピックマンにあの『食事をする食屍鬼』を見せられたときだって、この意見はいささかもかえなかったよ。きみもおぼえているだろう。マイノーがピックマンと絶交する原因になったあの絵のことさ。
 きみにもわかるだろうが、徹底した技法と自然に対する深遠な洞察があってこそ、ピックマンの描いた作品のようなものになるんだ。雑誌の表紙絵を描く三文画家にしたところで、絵具を荒あらしく撒き散らして、それを悪夢だの、魔女の宴《うたげ》だの、悪魔の肖像画だのと呼ぶことはできるが、本当に恐ろしいもの、真に迫ったものを生みだせるのは、偉大な画家だけなんだ。だからこそ、本物の画家は、恐ろしいものの実際の解剖学、恐怖の生理学を知り抜いている――つまり、眠りこんでいる本能や、生まれたときからうけついでいる恐怖の記憶に関係をもつ、正確な線や比率、普段は目覚めていない不思議な感じを刺激させる、色の対照や明暗の効果のことだ。どうしてフューセリのしたちを震えあがらせるのに、安っぽい幽霊小説の口絵が単にわたしたちを笑わせるだけなのかは、いまさらきみにいう必要はないだろう。ああいう偉大な画家たちは、生を超越するものをとらえて、それをわたしたちにも一瞬つかませることができるんだ。ドレがそうだった。シームがそうだ。シカゴのアンガロラもしかり。そしてピックマンは、匹敵する者が過去にも――ただそう願いたいが――未来にもいない人物なんだ。
 そういう画家たちが何を目にしているのかとは、聞かないでほしい。きみも知っているだろうが、普通の絵画の場合、自然やモデルを基に描かれた、生気あふれて息づいているものと、ちっぽけな蠅のような有象《うぞう》無象《むぞう》の商業画家が、寒ざむとしたアトリエで杓子定規《しゃくしじょうぎ》にさっさと描きあげる、いかにもつくりものめいたつまらないものには、大きなちがいがある。そう、真の怪奇画家は、ある種のヴィジョンをもっていて、それを基にモデルをつくりだすというか、自分の生きている幽冥界から、現実の情景に相当するものを喚起するわけだよ。ともかく、真の怪奇画家の作品が見せかけだけの画家のつまらない夢想とちがっているのは、実物をモデルにつかう画家の作品が、通信教育をうける三文画家のでっちあげたものとちがっているのとおなじようなものなんだ。もしもわたしがピッ



Posted by きどき波打ちはじめた at 12:38│Comments(0)
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